活動レポート

むっがしのゆざさもどてみっぞ! 山形県遊佐町ワークショップ~屋号篇~

2017年10月30日

 

◎山形県遊佐町にやってきました!

町のシンボルである鳥海山が紅葉をはじめ、稲刈りシーズンもひと段落した山形県遊佐町にて、10月13日、14日と手書き地図ワークショップが開催されました。遊佐町は、山形県と秋田県の県境に位置していて、海の幸、山の幸、そしてなんと言っても鳥海山の麓に広がる庄内平野と湧水が生み出した米どころです。(そして、わたしが生まれ育った故郷でもあります!笑)

 

そんな遊佐町で行われた今回の手書き地図ワークショップのテーマは『昭和30年代を再現しよう』です。昭和30年代、この地域では周囲の村が合併し新しい「遊佐町」ができた時代でもあります。大きい変化があった年代、そして商店街があって盛り上がりを見せていた「十日町」という地区の当時の様子を手書き地図で再現しよう!というのが今回の目的です。十日町通りは遊佐町の中心街にあり、昭和30年代はここに来れば何でも揃う、というほど様々なお店がある、とても賑わっていた商店街だったそうです。

わたしが同行させてもらったチームのテーマは『屋号』です。屋号とは、各家に付いている苗字以外の名前のことです。昔からある屋号を今も名乗る人が多く、町内の人に電話をするときなどは、あまり自分の苗字は言わず、屋号を言うことが多いです。昭和30年代に(気持ちだけ!笑)タイムスリップして、歴史のある『屋号』を切り口に、十日町通りの思い出マップをつくりました!その様子をレポートしていきます。

 

 

《1日目》

◎「こごねーだれのえだー??」座談会

屋号チームは1軒1軒の屋号を確認して、由来や歴史をふり返るところからスタート。60年近く経った今では姿形が変わってしまった街並みも少なくありません。そうした中で大切なのは、参加してくださったみなさまの「記憶の中の思い出」。話していくうちに「そんだなもあたの~!」なんて思い出が引っぱられてきてなつかしさを感じている様子がとてもたのしそうでした☺︎

 

「こごねーだれのえだー?」というこのタイトル、何と言っているかわかりますか??正解は「ここの家は誰の家だ?」です。手書き地図のワークショップでいろいろな地域にお邪魔した中で歴代No.1レベルで訛っていた遊佐町!笑 18年間遊佐町に住んでいたわたしはわかるのですが、他の研究員は頭にたくさんの「???」が浮かんでいるようでした笑 でもその訛りが意外にも屋号に関係してくるのです!!

 

 

《2日目》

◎フィールドワークの前にちょっと豆知識

自分には苗字があるのになんで屋号があるの?と不思議に思ったので質問してみました。

1人1人に苗字が付くようになったのは明治以降になってからでした。それまでは特定の人だけに苗字が与えられていました。そのため、自分の家に名前を付けて、今でいう苗字の代わりとして屋号を名乗っていたそうです。その名残りで、今も屋号を使う文化があるんですね!

 

◎十日町通りを歩いてみた

十日町通りに出て、思い出を頼りにフィールドワーク。新しい道ができていたり、お店の数も減ってしまってはいましたが、それでも当時の名残りがありました。

 

◎当時もあった!駄菓子屋ゆぎちゃえ

『ゆぎちゃえ』という屋号の駄菓子屋さん。ゆきちゃんというおばあさんがはじめたというところからこの屋号がついたそうです。「ゆきちゃんの家」が訛って、「ゆぎちゃえ」になったそう。いつもお店番をしている方の名前が屋号になっちゃうっておもしろい!笑

 

◎面影あります❁❀ 『花屋』さん

こちらはお店の名前がそのまま屋号になった『花屋』さん。今ではお店をしていませんが、当時の名残りからか、玄関先に綺麗なお花が!昭和30年代の十日町通りには60軒以上ものお店が立ち並んでいましたが、今も商売を続けているお店は8軒ほど。それでもこちらの花屋さんのように、こういった形で当時の様子を垣間見ることができました。

 

◎橋があったのはここじゃない!

清流にしか生息できないイバラトミヨがいて、夏にはホタルがたくさん飛んでいる八ツ面川に架かる赤い橋。「いやいや、場所が違う!」と言う参加者の方々。当時はもっと別の場所に橋があったそうです。今は新しい道路ができて川の位置も変わったそうですが、それでも水の清らかさは変わらないのが遊佐町の湧水の凄さ。

 

◎一見、ただの砂利道だけど…

こう見ればただの砂利道。しかし、当時は紙芝居を読み聞かせしている人がここによく来ていたそうです。水飴を買わないと近くで見れなかったという紙芝居。そんな話を聞いているうちに、小銭を握りしめた子どもたちのわくわくした顔が見えてくるような気がしました。ただの風景がストーリーを知ることによって特別なものに変わるのもフィールドワークのおもしろさです。

 

◎ほかにもありますおもしろ屋号!

『まんじゅかじ』
まんじゅう屋さんではないです。笑 名前の由来は昔営んでいた「鍛冶」から来ています。しかし、今は衣料品店になっていて、屋号の面影は全くありません。このように、十日町通りの屋号の中には当時営んでいたお店や職業の名前がそのまま屋号になった家が多くありました。そのため、今では姿形が変わり屋号からは想像ができないお店になっていたりします!

『じごべぇ』
こちらも名前からは全く想像ができないのですが、床屋さんをされています。最初の2文字は漢字で「甚五」と書くのですが読み方は「じんご」ではなく呼びやすいからか「じご」。訛った呼び方のまま定着して屋号になった家も多くありました。

 

◎思い出巡り、完了!

参加者のみなさんは当時を思い出しながら、研究員のわたしたちは当時を想像しながらの新しい形のフィールドワークでした!

 

◎十日町通り思い出マップメイク✎

たくさん引き出した思い出たちを地図に書いていきます。全部の屋号の由来を知っているのではないかってくらい物知りな参加者のみなさま。少しだけ小ネタを挟みながら、『十日町通り思い出マップ 昭和30年代を再現!~屋号編~』完成!!!

歩いてみて気づくこと、実際に地図に落とし込んでみて気づくこと、それぞれで発見があり、とても濃く、勉強にもなる手書き地図ができあがりました。

 

◎発表会

人の名前が由来になった屋号より、お店や職業の名前が由来になった屋号のほうが多いということがわかった十日町地区。この手書き地図を作るというきっかけがなければ知らないままだったかもしれません。屋号からも十日町通りの商店街の賑わいと歴史の深さがよくわかりました。

 

 

◎すべてが今に繋がっていた!

屋号があることがあたりまえという環境で育ってきたので、「そもそもなぜ屋号があるのか?」という疑問は今回のワークショップを通して初めて抱きました。その理由には、古くからの歴史が関係していて、そして今に繋がっている。そんなストーリーを垣間見ることができるのが、手書き地図のおもしろさです。「自分にとってのあたりまえは、ほかの人にとってあたりまえじゃない」と手書き地図のワークショップのときによく思いますが、自分の故郷でのワークショップを通して、「あたりまえ」がいかに「特別なこと」であるかを改めてひしひしと実感しました。

今回のテーマは『昭和30年代を再現しよう』。変わってしまったことももちろんありますが、今、わたしたちの目に見えるものだけがすべてではなく、過去の物語があって今があります。過去を知ることが今を知ることにも繋がります。そのことに、この手書き地図を見た人が気づいてくれたらいいなと思います☺︎

 

今回作成した手書き地図は地元のお祭りの中で展示されるそうです。地図を見て当時をなつかしんだり自分が生まれていなかった時代の遊佐町を知るきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

 

山形県遊佐町のみなさま、ありがとうございました!

 

レポート:佐藤遥

投稿日:2017年10月30日

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